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コラム

第3回 ことしもKOBEから始る(後編)
2005.2.5

 1月17日の話をもうすこしつづける。
 午後、元町の、こうべまちづくり会館へ。シンポジウム『台湾―神戸 それぞれの震災と復興』に、コメンテーターとして出席。被災地KOBEと台湾の住民、専門家が多く参加した。まず、台湾から921大地震の復興の過程と現状を、新故郷文教基金会理事長の寥嘉展さんと愛郷關懐協会理事長の張榮華さんが語った。KOBEの側は、野田北部まちづくり協議会の河合節ニさん、真野地区まちづくり推進会の藤原柄彦さん、みくら5の藤川幸宏さんの3人が、それぞれの地区の復興の特長と現在を報告した。まさに、「それぞれの復興」のかたちが語られたのだが、両被災地の住民と専門家、関係者のもつ復興運動への質量は相似た方向性をもっていた。ひとことでいえば、「住民が必要とする事柄」に活動の根っこをおいて、ものごとをすすめていく態度である。

 南投県中寮郷龍眼林社区の報告。この地域は山間地域の農村で工場はひとつもない。昔は山に龍眼(中国南部原産のムクロジ科の常緑高木。白色小粒の花をつけ、径2〜3pの球形、橙色の実を結ぶ)の木が多く茂っていたので、龍眼林の名がついたという。921大地震のあと、住民たちは、外部の専門家団体に協力してもらいながら新しい学習型コミュニティを創りだした。2000年5月、この地に設立した「龍眼林社区学園」である。社区はコミュニティの意であり、ちなみに、まちづくりは社区営造という。震災復興に尽力するこの地域の住民たちが、社区学園をとおして仲間を見つけ、交流し、自分たちの暮すコミュニティの文化、産業資源にはどのようなものがあるかなどを調査し、それを復興計画にいかした。01年7月以降は、龍眼林地区住民約300人と社区学園を卒業したメンバーが、中寮郷の10の村落住民と共同して、それぞれの村落の枠を越えた「中寮郷龍眼林福利協会」を設立し、社会福祉、ケアに関する業務に着手した。高齢者に食事を届けるサーヴィス、貧しい家庭のこどもに奨学金を支給する、社会的弱者のケア、などがその仕事である。これは、中寮郷龍眼林福利協会が社区営造(まちづくり)を行っていくうえで不可欠な活動であり、住民自身が望み選択した事業である。

 南投県埔里鎮愛郷關懐協会(南投県埔里鎮を愛し思いやりをもつ協会)の報告。埔里鎮は、921地震の被害が都市部ではいちばん激しかった地域である。紹興酒の名産地であり、地震のときに、造酒屋が倒壊して紹興酒が大量に流出し、埔里市全域が酒の香りに包まれたという話を聞き、心ひそかに心いためた覚えがある。閑話休題。

「わたしは生まれ故郷を選択することはできないけれど、わたし自身が年老いて暮すコミュニティを構築する能力はあります」。愛郷關懐協会理事長の張榮華さんのことばである。このシンプルな理念のもと、女性たちが921地震後の社区営造(まちづくり)に乗りだした。それは、女性たちが妻、嫁、母親の役割以外に自分自身を実現するための活動でもあった。公共の領域に参加する機会がほとんどない女性(母親)たちとの語らいの場をつくり、最初は、コーヒーを飲みながらのおしゃべり、そして、議案をきめて座って会議を開く、までにその活動は進んでいった。埔里鎮愛郷關懐協会は、03年に地域の「街道緑化計画」を提案した。当初は事務所を借りるにも家主に断られ、ボランティアであるにもかかわらず、利益を得るだろうと疑われるなど挫折しかけながらも、コミュニティ構築の活動はつづいていった。いまもつづいている。生活のなかで起こる小さな出来事を自主的に解決していく自立(律)性がうまれてきた。

 ことしの1・17被災地KOBEで、「震災後の10年はけっして『失われた十年』ではなかった」という声をきいた。台湾921大地震の被災者もおなじ思いであろうことが、シンポジウム『台湾―神戸 それぞれの震災と復興』でよくわかった。連帯する復興市民とともに、わたしの05年は始った。


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