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コラム-わが忘れなば

第21回 たまには書斎の整理もいいものだ
2005.11.13

 書斎、といっても、納戸みたいな小空間なのだが、そこに滞留している単行本・文庫本・新書本・雑誌・パンフレット・新聞・資料・書類・写真・チラシ・同人誌・未発表原稿・録画ヴィデオテープなどの大整理をした。1960年代のはじめに、高校時代の先輩伊豫田静弘(元NHKディレクター)らといっしょにつくった、8mmフィルム劇映画の撮影風景の写真がでてきたりして、もう一人のわたしと再会した気分を即物的に愉しんだ。ときにこんなかたちで来し方を振り返ってみるのもわるくない。懐古や感傷や妥協ではなく。「このみちを泣きつつ我のゆきしことわが忘れなば誰か知るらむ」。わたしのコラムのタイトルは、詩人で東洋史学者の田中克己氏のこの歌からいただいたものだが、これは、氏19歳の作だという。

 書斎大整理で相当量の書籍を捨棄したが、その基準は、わたしがこの世をおさらばするまでに再度読むことの可能性があるかないか、であり、作家としての評価や作品のよしあし、ではない。幾例かをあげれば、ダシール・ハメットは残留したがアガサ・クリスティは戦外通告となった。花田清輝はのこったが吉本隆明は去った。トロツキー『亡命日記―査証なき旅』(現代思潮社版)とゲバラ『ゲバラ日記』(みすず書房版)はここにいる。ともに1968年初版である。中里介山『大菩薩峠』全二十冊(富士見書房版)は棄てられない。数多くはないが、どなたのものであれ著者サイン入りの献呈本は手放すわけにいかない。また、詩集を抛りだせないのはなぜだろう。

 整理は、書名を見るだけでこれはこちら、それはあちらと振り分けていくのだが、ふと、手にして頁を繰ってしまう本がある。これは危険な行為である。何冊かに一冊は誘惑をおさえきれずにそのまま読みだしてしまう。そうなると整理作業の時間が止まってしまうが、いくところまでいくしかない。嵌ってしまったのだ。そのようにして嵌りこんだ本の1册が、『唐牛健太郎追想集』(同刊行会編集・発行1986年第1刷)である。唐牛健太郎、60年安保闘争の全学連委員長。時に唐牛22歳、街頭闘争の先頭に立ち、かく書くわたしは17歳、学生ではなかったがやはり騒然たる街にいた。もとよりわたしに面識あろうはずもないが、同時代人の兄貴分として敬した。その男が1984年4月に亡くなり、130人になんなんとする男女が文を寄せて集を編んだ。そのひとり、道浦母都子は短歌一首、「春の雪滅多やたらに明るくて我が青春の一人喪う」。


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