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コラム-わが忘れなば

第19回 台湾から/ドキュメンタリー映画2本
2005.10.18

 ホーチミン・シティからバンコクまでもどってきて、そろそろ鷹取へかえりつきたいのだが、なかなか思うようにいかない。また寄り道をする。ちょっと東京・早稲田へ。10月6日、早稲田大学小野梓記念館で、台湾921地震からの復興ドキュメンタリー映画の上映会があった。1999年9月21日に台湾中部を襲い、2300人以上の犠牲者をだした921地震。大災害に見舞われた被災地のその後の姿を、被災した人びとの苦悩に寄り添いつつ、多様な視点と手法で記録してきた映像制作集団<全景>の「大歩向前走」(前を向いて大きく歩こう)というシリーズ6作品が完成し、そのうち2作品の日本お披露目上映と監督をかこむトークの会であった。

 全景のスタッフとは、99年の秋(921地震の直後)に監督の郭笑芸と協力者の吉井孝史が、KOBEの青池組(野田北部を記録する会)のスタッフ宿舎をたずねてくれて以来交流をもっていて、2000年の「台湾国際ドキュメンタリー映画祭」のときには、監督の呉乙峰とスタッフの案内で、わたしは、921地震被災地の何か所かをおとずれた。そのとき見た被害の状況では、震源地とされる九分二山の崩落の様子に目を見張った。山の斜面が、その台地に建っていた住宅や道路、樹木もろとも、そこにあったすべてが、100メートル下、いや、もっと下の谷底になだれ落ちて埋まっていたのである。地震は深夜1時30分頃の出来事であり、人はもちろん家のなかで寝んでいた。呉乙峰の監督した『生命(いのち)』は、ここで亡くなった人たちの家族の再生の物語である。

 早稲田で上映された2作品をかんたんに紹介しよう。郭笑芸の監督した『梅の実の味わい』は、やはり地崩れにより村落が埋没した、震源地付近の南投縣國姓郷南港村の記録である。母親と家を失った朱三兄弟を中心に被災者たちの姿を追う。思惑のちがいから起こる政府との対立や観光地化していく村で、自らの被災体験を売り物にしてでも生き抜こうとする人びとの生活が、美しい風景や質実な労働とともに綴られていく。この村にもわたしは案内されていて、全体が傾いてしまった家屋の内部を、入場料を取って見せている一家をたずねた。しかも、被災直後の写真を絵葉書にして震災goodsとして売っている。震災1周年のころであったが、見学者というより観光客は多く、かれらは、あたりまえに金を払って入場している。この家のなかに入ると、水平が失われているので身体のバランスがとれなくなり、昨夜の酒がのこっていたわたしは、なにか、三日酔いの気分であった。料金を取って被災した自分の家を見せgoodsを売る。わたしは、そのとき、この一家の、生活することへのドラスティックな行為にうたれた。そして、きょう、そんなかれらへストレートにキャメラを向けている作者の撮影態度に共感した。

 李中旺の監督した『部落の声』。先住民タイヤル族の村、台中縣和平郷自由村雙崎部落では、詩人で小学校教師のワリス・ノガンが伝統的共同生活をベースに仮設住宅地区を設立し、住民の自助的復興をめざすが、古老たちとの見解の相違や、仮設住宅地区への世間の注目が村人たちの不公平感を生むなど、軋轢がふかまっていく。問題はそれだけではない。生活用水の水源をめぐっての村人同士の対立。救援物資の配分をめぐっての行政との紛糾。若者・中壮年・老年の世代間の諍い。運動に携った夫婦の離婚。それらのプロセスを、住民会議、寄り合い、個人へのインタヴューなどで構成した記録である。そして、この記録映像はいわゆるサクセス・ストーリーではない。諸問題の簡便な解決はなく、災害によって物理的に破壊されたコミュニティは、復興の過程で人心の亀裂をふかめ、さらに壊れていく。そのようにつづく混乱と矛盾の現実を、作品でまとめようとしない作者の態度がよい。

 この2作をふくむ、映像制作集団<全景>の「大歩向前走」(前を向いて大きく歩こう)シリーズ6作品を日本の各地で上映したいと考えている。


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