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コラム-わが忘れなば

第15回 揺れた!
2005.7.25

 「ホーチミン・シティ―バンコク―鷹取(6)」の原稿を3分の2ほどかいたところでPCがクラッシュしてしまった。この暑いのに、いやはや、である。日ごろの精進がたりないのだろう。気をとりなおして半分ほどかきもどして、神戸から野田北部のせっちゃんがくるので、かれと一杯やろうと外出したら、地震がきた。せっちゃんといっしょに地震もきてしまった。で、今回はそのことをかく。
 
 7月23日の午後4時35分ごろ首都圏が揺れた。わたしが住んでいる市川市の湾岸部では震度5弱(マグニチュード6、最強は東京都足立区の震度5強)の揺れであった。わたしには軽度の揺れの感じであったが、それでもこれは1993年以来の揺れだという。わたしは、そのときJR総武線市川駅の駅ビル1階の食品売り場にいた。せっちゃんとこの駅の改札口で会う約束だったが、待ち合わせ時間をとうにすぎてもあらわれないので、食品売り場を素見していたのだ。もとより、せっちゃんは、わたしと呑むために箱根を越えたわけではなく、野田北部まちづくり協議会の事業部長兼広報渉外担当・河合節二として市川市に招かれ、市職員のまちづくり研修会の講師としてやってきたのである。だから、かれが時間どおりに顔を見せなくても、それはきっと任務上の理由であるにちがいない、とおもいやりつつ、しかし、電話の1本ぐらいよこせないのか、とののしりつつ、ぶらついていた。

 足下にゴッグォッグオッという断続的なかすかな地鳴りを聞き、微小な縦揺れを感じた瞬間、きた! とおもった。だが、こんな感覚はときどきあるので、こんどもそれかな、錯覚かなとおもい返しかけたとき、横揺れがきた。グラーッと大きく1回、グラッと4、5回小さく、数秒のみじかい時間の横揺れ。そのとき、食品売り場はさほど混雑していず、また、だれにとってもそれほどおどろくような揺れではなかったのか、周囲は平静である。あるいはとっさの声がでなかったのかもしれない。惣菜売り場のおばさんが通路側にでてきて、「あっ、いけない、レジ閉め忘れた」といってもどっていったのが、唯一、わたしが見たあわてふためきの光景だった。ものが落ちたり倒れたり、人の右往左往も見られない。つぎの揺れに備えて、わたしは速足で表にむかったが、つぎの揺れはなかった。

 駅の改札口はさぞかし混乱しているにちがいないとおもっていたら、まったくそうではなく混雑すらない。夏休みと土曜日の午後のせいか。だが、電車はやはり止っていた。せっちゃんはまだこない。携帯をかけようとしたが、「しばらくお待ちください」の表示になっている。えっ、となりの嬢ちゃんはかけてるぜ。あれはメールか。メールなら通じるのか? わたしの携帯は古い旧い電話のみのもので、携帯電話のコレクターから、「これは化石モノですねえ。手放すときは一声かけてください」といわれているほどアンティークなのだ。自慢にしている。ともかく携帯電話は通じない。せっちゃんとは不通である。ま、しばらくここで待とう。駅構内にはだんだんと利用客が停滞してきて人があふれてくるが、みんな平静である。50代の母親と20代の息子の親子連れがいて、息子が母親に、「もし連絡が取れなくなったときは災害伝言ダイヤルだよ」と話しかけている。「何番にかけるかわかってる?」。母親は「えーと、177だったかね? 171だったかね?」とこたえる。息子は「171+1+自分の番号」と明解。171を知っていた母親もなかなかのものだ。わたしは伝言ダイヤルは知っていたが・・・操作をきちんとおぼえておこう。

 そうこうしているうちに時間はすぎ、小1時間もすれば安全確認がおわって電車は動くだろう、というわたしの予測は見事にはずれて、1時間半以上経っても動かない、情報も判然としない。せっちゃんも未着かつ交信不能で、かれと落ち合うのは断念して大久保へ向うことを考える。新宿区大久保、歌舞伎町のとなり、アジア系の定住外国人が約4割を占めるまち。そのまちで、もちろん被害はでていないだろうが、かれらがこの地震をどう受け止めたかを知りたい。しかし、電車は動かない。大久保在住の何人かに電話したくも携帯の表示は、しばらくお待ちください、のまま。歩いていくほかなさそうだが、そこまですることもなかろう。翌日、共住懇の江原さんに電話で聞いたら、まちは静かだったという。であろう、この程度の揺れでは。しかし、想定されている東京湾北部地震(M7.3)ではいかなることになるか。共住懇が早稲田大学建築学科佐藤研究室、地域住民、新宿区と恊働で計画し、この秋に実施する「多文化防災復興訓練」がいっそう現実味をおびてきた。

 ――JR総武線市川駅では、人の混乱と集団パニックは見られない。建物の被害もない。しかし、である。この程度の揺れで、電話は不通、鉄道交通は途絶ではなんとも心許ない。わたしたちは、この地震を警告と受け止めるべきであろう。阪神大震災から10年、新潟中越地震から10か月、首都圏の人びとよ、きたるべき大地震に備えよ、との警鐘である。せっちゃんとはついに会えずじまいだったが、かれを待ってる間の2時間の体験は勉強になった。(せっちゃんからは、わたしがバスをつかって、大回りかつ時間をロスしつつの帰宅途中に電話があり、いま市川駅にいます、とのことだったが、すでにわたしは逆戻りがむつかしいところにいた。大遅参の理由は、研修会のあとの懇親会で話となにがはずんでいたようだ。ま、それも研修の内か。せっちゃんだから通す)。


<関係リンク>
  • 首都圏地震 リンク集
     (市民メディア・インターネット新聞JANJAN 2005/7/23)
  • 災害用伝言ダイヤル(NTT東日本)

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