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コラム-わが忘れなば

第11回 ホーチミン・シティ―バンコク―鷹取(2)
2005.6.17

 05年5月18日、タイ、バンコク。14時05分、曇空が雨になり稲光するドンムアン空港から飛び立ったヴェトナム航空VN850便は上昇をつづけ、厚い雲を抜けると雲上は太陽が照り輝いていた。いつかは行くことになるだろうと考えていたホーチミン・シティ(旧サイゴン)へこの時期にでかけたのは、ことしがヴェトナム戦争終結30年であることが主たる理由だ。数字合せみたいだが、わたしが記憶する原初の風景である空襲で焼野原となった浜松のまちを見てから、すなわちアジア太平洋戦争敗戦から60年。野田北部・鷹取でやはり焼け落ちたまちを撮影してから、つまり阪神大震災から10年。符節を合せたようなこれらの区切りの重なりも、どこかで、わたしのヴェトナム行きの気分を後押ししたかもしれない。ヴェトナムへ行くときはハノイから入って南下するのが望みだった。ホーおじさん(かつてのホー・チ・ミンヴェトナム労働党主席。ヴェトナム民主共和国の初代大統領)に敬愛の意を表してのことだ。それが、旧名サイゴンのホーチミン・シティへ入ったのはスケジュールの条件による。滞在日数が5日間しかとれなかったので、今回の訪問をホーチミン・シティとその周辺地域に限った。

 エアバスA320は水平飛行に入ると飲み物と軽食が出た。スチュワーデスが、飲み物は何にするか、とヴェトナム語で訊く。わたしがヴェトナム人に見えたのか。もちろん、わたしはヴェトナム語ができないので英語で赤ぶどう酒を注文する。おや、という顔をしてアオザイ姿の彼女が小さなプラスティックのコップに1杯注いでくれる。なかなかイケる。この、「ヴェトナム人と間違えられる現象」は、滞在中たびたびあって、そのうちの二つをあげると、一つは、ドン・コイ通りのヴェトナム料理店のウエイトレスから「わたしのおじさんに似ている」といわれ、後述することになるメコン・デルタ・ツアーの青年案内人からは、「海外に移住した同胞の里帰りとおもった」といわれた。「海外に移住した同胞」には、ヴェトナム戦争末期に自分の商売と財産に危険を感じて脱出した人たちと、戦争終結後に自分の暮しの前途に絶望を感じて脱出した人たちの、2タイプがある。前者は飛行機の正規乗客として、後者はいわゆるボート・ピープルとして、国を出た。わたしは、そのどちらに見られたのだろうか。わたしには、難民として日本へやってきたヴェトナム人の友人がたくさんいて、そのほとんどが神戸市長田区に定住している。かれらとは阪神大震災後に鷹取で知り合った。わたしがきいた、その「出ヴェトナム記」は、いずれも、苛烈、酷烈、惨烈、劇烈なものであった。この物語は後日機会をつくって撮り記したいと考えている。

 メコン・デルタを眼下に見たくて窓側の座席をとったのだが、もうヴェトナム上空なのに下界は厚い雲にさえぎられて見えてこない。そのうちに機は着陸態勢に入り、15時35分、ホーチミン・シティのタンソンニュット空港に到着。この空港の名前を鮮烈に印象づけられたのは、1968年1月30日の「テト攻勢」である。南ヴェトナム解放民族戦線は、テト(旧正月)入りを期して大攻勢を展開した。このとき、首都サイゴン(現ホーチミン・シティ)のアメリカ大使館(現・同総領事館)、大統領官邸(現・統一会堂)、タンソンニュット空港は激しい攻撃にさらされた。南ヴェトナム解放民族戦線はその力を誇示し、アメリカ合衆国政府と南ヴェトナム傀儡政権は驚愕した。世界の、そしてアメリカ国内のヴェトナム反戦運動はいっそうの拡がりをみせ、その渦は一つではなく多数であり、特大のものから微小ななものまで、運動形態は多彩であった。ヴェトナム反戦にかかわった人びとは、一人ひとりが渦をつくりだすひとりであり、その意志は相乗的に転回していき、NON!の声は多重多層化していった。アメリカ合衆国政府はヴェトナム政策の再検討を迫られるが、しかし、まだこの国への凶行をやめようとはしない。

 旅にでるときはガイドブックとはべつに、その国についてかかれた、あるいはその国を舞台にした読み物をかならず携行することにしている。日本人のかいたものであれ、その国の人がかいたものであれ、ほかの外国人がかいたものであれ、ジャンルも小説、歴史書、紀行文、ルポルタージュなどをいっさい問わない。旅の友である。今回のそれは、開高健の『べトナム戦記』(朝日文庫版)と『輝ける闇』(新潮文庫版)、岡村昭彦『南ヴェトナム戦争従軍記』(岩波新書版)である。これらは、わたしにとって同時代の書物であって、いずれも再読三読してきた本である。もうひとつの旅の常備品であるジャック・ダニエルを詰めたバッグとともにイミグレーションと税関を、こちらの予想より簡単に通過して空港をでる。通いなれたアジアとはいえ、はじめての国であることの緊張と、ヴェトナムであることの昂ぶりで躰が強張っている。それが、屋外にでたとたんに押し寄せてきた、鳥がさえずるような甲高いヴェトナム語の洪水と、ねっとりとした暑熱のなかでほぐされていった。タクシーをつかまえてホーチミン・シティ市街へとむかう。(つづく)

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