青池憲司のコラム 眼の記憶

2004年1月8日

(承前)。2000年1月17日、阪神大震災5周年のその日、一隻の船が神戸港を出港し、東シナ海を南へ向かいました。船上には、神戸市長田区御蔵の田中保三さんほかの住民さんと、「まち・コミュニケーション」(阪神・淡路大震災まち支援グループ。96年4月に御蔵地区で設立された)のメンバー、そして、東京都新宿区大久保に住む関根美子さん(あらばきのおばちゃん)の姿がありました。めざすは、台湾南投縣福亀村。福亀村は、このコラムの第4回でもふれたように、1999年9月21日の台湾中部地震(台湾921地震)の震源に近く、大きな被害を受けた地域です。

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神大震災の復興過程でむすばれた、いわば「震災の友」とでもいうべき一行が、台湾中部地震の被災地に向った理由は、御蔵の人たちは地震の被害者同士の支援・交流であり、あらばきのおばちゃんにとっては、「阪神・淡路大震災の時、現地で“ディリーニーズ”という生活かわら版を出していたこと。もし、地震が東京で起きたら、この新大久保は、きっと神戸の長田と同じになってしまうという思いが」あってのことでした。「そして、トルコをはじめ世界のアチコチで地震が起きるたびに、神戸の悪夢が蘇り、イテもたってもいられない気持ちと、いつも犠牲になるのは、小さな命、弱いものの命だということだ。それは決して天災だけではなく、戦災を含む人災で失われるのは“いのち”だ」という思いに駆られてのことでした。(共住懇機関紙『おおくぼ/OKUBO』No.2より)。

19日に台湾・基隆港についた一行は、そこからバスに乗り継いで約5時間、山間の福亀村とこの地方の中心都市である埔里鎮を訪ねました。ここで、半壊家屋からの家具の取出しなどのボランティアをし、南投再造工作隊というボランティア・グループをまとめている邱明民さんや、村で活動している人たちと交流し、被災状況、復興状況をきき、地震体験の交換をしました。このことがきっかけとなって、福亀村と御蔵プラスおばちゃんの交流がはじまり、その後、本格的に住民同士のお付き合いになり、いまもつづいています。震災という悲しい経験ではありますが、復興支援を通して、まったく縁もゆかりもなかった地域の人びとが心をかよわすようになり、地域の交流(インターコミュニティ)が継続していくことの意義は大きなものがあります。そして、そのインターコミュニティ(それぞれの地域の住民やグループ同士が交流し、関係を築いていく活動)は、おばちゃん経由で大久保地区にも広がっていったのです。

久保地区では、01年3月17日18日の2日間、『第1回復興とまち映像祭〜インターコミュニティの可能性〜』を、同実行委員会主催で開きました。阪神大震災のドキュメンタリー、みくら5の映像記録、トルコ大地震(99年8月)のドキュメンタリー、台湾中部地震のドキュメンタリーなど5本の映像作品を上映し、御蔵から田中保三さん(当時、「御蔵通5・6丁目町づくり協議会」相談役)、「まち・コミュニケーション」代表(当時)の小野幸一郎さん、台湾から各地の復興支援活動に関わっていた邱明民さんを招き、そして、地元から新大久保商店街振興組合の森田忠幸さん、共住懇代表の山本重幸さんと青池がくわわって、上記タイトルのテーマに則ったシンポジウムを行ないました。(詳細は、共住懇機関紙『おおくぼ/OKUBO』No.8、No.9を参照してください)。

の年の10月8日、恒例の「大久保・百人町祭り」(主催=新大久保商店街振興組合・百人町明るい会商店街振興組合)が開かれ、共住懇も参加して模擬店を出しました。そのときに、御蔵地区の田中さんをはじめとする住民さんにきていただいて、神戸名物の「そばめし」をつくってもらいました。そばめしはご存知かと思いますが、ごはんとやきそばの麺とスジ肉とキャベツをいっしょに鉄板で炒めたもので、発祥は神戸の長田です。御蔵住民のそばめし隊は、食材はもちろんのこと鉄板も持参しての大奮闘で、おかげで、大久保地区の人たちは本物の味をあじわえたわけです。(詳細は、まち・コミュニケーション機関紙『月刊 まち・コミ』01年11月号を参照してください)。

02年6月15日には、『第2回復興とまち映像祭』を開き、映画の上映(『野田北部・鷹取の人びと』第14部・証言篇)とシンポジウムを行ないました。パネリストに、神戸市長田区野田北部地区から「野田北部まちづくり協議会」の河合節ニさん、第1回とおなじく御蔵の田中保三さんを招き、共住懇の山本重幸さんと3人で「インターコミュニティ」を論じ、遠藤勝裕さん(震災当時の日銀神戸支店長)、佐藤滋さん(都市計画家)、渡戸一郎さん(都市社会学者)をかこんで「震後まちづくり活動の継承と展開」を議論しました。(詳細は、共住懇機関紙『おおくぼ/OKUBO』No.15を参照してください)。

神大震災と台湾中部地震の復興プロセスの支援・交流からはじまった、御蔵と大久保と福亀村、野田北部と大久保などのインターコミュニティ活動は、二都ならぬ多都の環となって、災害復興や防災を越えて、日常のまちづくりの協働にまで広がってきました。そして、03年末に起きたイラン南東部大地震では、KOBEの住民、日本と台湾のNPO/NGOグループが現地に駆けつけるなど、いちはやく支援活動にのりだしています。

(この項了)

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