コラム 眼の記憶


2004年2月28日

たしは、大久保百人町へやってきて、多くの人たちと交流をもつようになりました。関根美子さん(あらばき協働印刷のおばちゃん)をはじめとする共住懇のメンバーは、その主たる人たちですが、それ以外にも知り合いになった個性ある男女が何人かいます。そのひとりが、わたしの大久保百人町めぐりの先達、ヤクモという名の日本人です。本名は知りません。かれは、この界隈で、住民から親しくヤクモと呼ばれているのですが、理由は、大久保1丁目にある小泉八雲記念公園ちかくのアパートを住処兼事務所にしているからだと聞いたことがあります。そのアパートというのが、アジア太平洋戦争敗戦直後に建てられた、築60年にはなろうかという代物で、いまや、なかなか風格さえあります。ヤクモの年齢はその3分の2ほどか、40前後と見えます。職業は、自分では探偵それもアジアの探偵と名乗っていますが、まあ、この辺りの、失せもの・探しもの・小さな困りごと処理の便利屋といったところでしょうか。


▲まちの便利屋・ヤクモの住むアパート。東京にしてはなかなかの風格です。

る日、ヤクモと新大久保駅ちかくのロッテリアで会いました。この店は、ロッテ発祥の地(いまでも工場がある)に開かれた、ロッテリア第2号店なのですが、ヤクモはここを依頼人との打合せの場所にしています。適度に騒々しくて、適度に人の出入りがあって、適度に落ちつかないのが、この手の打合せにはうってつけなのだそうです。

「どう、仕事は?」と訊くと、「犬さがし」という答えが返ってきました。
「見つけたの?」
「四足歩行の動物はむつかしい。二足歩行のほうがらくだ。このあいだなんか、ペットの亀をさがしてくれという頼みもあった」
「?!」
「こどもが見つけておもちゃにしてるところを見つけた」
「こどもは亀をいじめてた?」
「いや、なぜ?」
「助けた亀につれられて、探偵ヤクモは職安通りという川をわたって、竜宮城ならぬ歌舞伎町へとむかいました、とさ」
「ばかばかしい」
 そう、わたしとヤクモの会話は、大体いつもばかばかしい。しかし、行方不明の犬をさがしてほしいという依頼はけっこうあるのだそうです。


▲打ち合わせにつかう「ロッテリア新大久保店」は、1972年に開店した同チェーンの2号店です。

 わたしはコーヒー、ヤクモは自ら悪食だというダブルチーズバーガーをほおばりながら世間話をしていると、となりの席の男ふたりの会話が耳に入ってきました。「入管」ということばがきこえたので、おやと思っていると、「摘発」ということばもきこえてきます。ひとりは南アジア系の顔立ち、つっかえながらの日本語で、不安そうになにごとかを問いかけています。大丈夫とは思うが、なにかあったらすぐにわたしの携帯に電話しなさい、と答えているのは日本人の支援者か。ふたりが何者であるかは推測ですし、どんな事情の相談かはわかりませんが、外国人の不法滞在がらみの話しであることはまちがいありません。ふたりが席を立ったあとで、ヤクモが口を開きました。

クモの話を要約すると次のようになります。「東京入国管理局新宿出張所というのが、去年の4月に歌舞伎町にできたことは、知ってるよね。これは全国で初めて設置された、不法滞在者摘発専門の入管出張所なんだ。入管Gメンと呼ばれる入国警備官や審査官41人が詰めている。入管新宿出張所と警視庁が合同でやっている一斉摘発の網にかかり、強制退去させられたアジア人はすでに1000人を越えてるよ。この間も、ほら、180円ラーメン屋の路地を入ったところのマンションがガサ入れされて、インドネシア人とマレーシア人の男女が連行されたろ。捕まるのは大多数が工場や商店、建設現場などで働く労働者だよね。事情があって滞在の更新をできないでいる地道な人たちが“摘発”されてるんだよ。東京都や入管や警察がいうように、一斉摘発の目的が治安対策にあるとしたら、その成果はほとんどあがっていないとみるね。なぜなら、犯罪目的で入国する連中は、集団で住んだりしないで、巧妙に世間に紛れこんでるからね。もっとも、その目的が、治安対策に名を借りた外国人とくにアジア人排除であれば、その実はあがっている」ヤクモは一気にそこまで喋るとコーラを飲んで煙草に手をのばしました。

 「このまちの活気はアジア系の人たちがつくりだしている、と、おれはつねづね考えているのだが」と、ヤクモがつづけます。
「その活気の素のアジア人が、このところこのまちを敬遠しはじめている。これは明らかに“摘発”強化のせいだね。身に覚えのある連中はいうまでもないが、法を遵守(舌がもつれて3回いいなおした)している人たちまで、一斉摘発の対象になるようなこのまちから、しばらく遠ざかろうとしている。同国人の客でにぎわっていた南アジア系のレストランなどは店を縮小したところさえあるね。日本系の商店でも外国人の客が減ったという。おれの見るところ、いま、このまちの商店街の顧客の3割以上は外国人だから、ダメージは大きいだろうな」
「そうか、不法滞在者摘発は正規滞在者や定住者の生活をも脅かしているわけだ。それで、商店街はなにか対策を立てているの?」
「まあ、しばらくは様子見というところかな。摘発騒ぎが一段落したら客足はもどってくるだろう、と期待しているようだね。ところで、国は去年の10月に、東京都、警視庁と合同で、都内の不法滞在外国人を一掃するための共同宣言を発表してね、入管職員を増員して、来春、つまりことしの春からさらに摘発を強化するといってるよ」。

 ヤクモがいう摘発強化の春はまさにいまです。「その入管職員のことでおもしろい一件があるんだ」と、ヤクモの話はつづきます。


(この項つづく)
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