コラム
戻る HOME
HOME  野田北部…  再生の日々…  多言語版  通信販売  リンク  記録する会  青池憲司   コラム
印刷用ページ
コラム 眼の記憶


我的天津唐山紀行断片

2004年9月1日

「日中交流・復興クルーズ2004」という中国訪問団の一員として天津と唐山へ行ってきました。被災地KOBEはことしで10回目の夏になりましたが、訪問先の天津と唐山は、1976年7月28日に起きた唐山地震から29回目の夏・真っ盛りでした。唐山地震はM7.8、死者24万2469人、負傷者約16万人、軽傷者約50万人、倒壊棟数540万棟、倒壊戸数342万戸というおそるべき災害を引き起こし、被害のほとんどが震源地唐山と天津地域に集中しました。天津市と神戸市は友好都市でもあり、ともに体験した大地震の教訓の学び合いと記憶の継承、そして、将来を担う子どもたちを中心にした交流をはかりたい、というKOBE市民有志の企画が、「日中交流・復興クルーズ2004」として実現しました。

 8月13日12時すぎ、クルーズ一行30人を乗せた「燕京号」が神戸港ポートターミナルを出航。神戸と天津を定期的に結ぶ高速フェリーで、瀬戸内海から玄界灘へ出て、黄海、渤海を航海して天津新港まで2泊3日の海旅です。一行30人の年齢構成は3歳から60代後半まで、職業もさまざま。何らかのかたちで阪神大震災の被害をうけたり、震災復興活動に関わったりしていることが唯一の共通項です。わたしにとって、復興クルーズの大きなたのしみは、小学生から大学生までのヤンガージェネレーションといっしょに天津と唐山を訪ねることでした。若い世代が両地域の見聞で何を感じ、阪神大震災をどのように捉えかえし、震災の記憶をいかに継承していくか、という関心がありました。

 旅の行程は、天津→王村(天津郊外にある近代化模範村。郷鎮企業と呼ばれる、町村が経営する企業があり、天津市観光局から対外開放村に指定されている)→唐山→万里の長城→天津と、都市・農山村・観光地めぐるものでした。旅のあいだ、若者たちは、そこで出会った人たち、出来事、眼にするもの耳にするもの口にするもの、体験する異文化すべてに感応し、吸収し、あるいは反発し、ときには途惑い、日々変容していきました。同行した知力と経験力にあふれるおとなたちは、そんなかれらの変化を促進する見事な「触媒」であったといえます。家族という環を出て、3歳から60代後半までのいずれも個性的な人の集り、家族を越えた集団での行動は、それ自体、もう一つの異文化体験であったかもしれません。

 さて、我的天津と唐山です。天津新港に着いて入国し、可口可楽(コカコーラ)やヤマハの工場のある経済開発区をへて宿舎へ向かうバスの窓から見た、あるいは、まち歩きで見た外国企業とブランド商品の広告看板の数々。どこかで見た風景、どこだったろうかと思いかえすまでもなく、経済発展途上の80年代以降アジアのいたるところで見た風景です。どの国でも映画のオープンセットのようなこの風景を前景として、背後に都市貧困層があり、さらにその奥に農山村部があります。中国では、このパースペクティヴのなかに_小平以前と以後が同居しています。これが、天津で垣間見た、わたしの中国の第一印象です。

 唐山は、抗震記念碑や震源地、全壊したまま保存されている大学図書館、抗震記念館(工事中で入館できなかった)など、28年前の地震の記憶をしっかりと残しているまちでした。残しているのは、地震の記憶を継承し伝達していこうとする人の意志であって、その意志のあらわれはモニュメンタルなものだけではなく、人の心にも残っていました。いや、人の心があって、ものは残るといったほうが正確です。わたしたちが唐山で家庭訪問をしたときに話をしてくれた女性は、23歳で被災し家族を4人亡くされ方でした。彼女はそのとき体験したことと、その後の復興体験をつぶさに語ってくれました。阪神大震災でわたしたちが体験した事柄と変わらないものですが、その語り口の力強さに、彼女の記憶の鮮明さと記憶を持続する志を感じました。

回の旅で、わたしたちは地震の共通体験を学ぶためにこの地へやってきて(そのことの成果はこれから見えてくるでしょう)、それだけではなく、中国の歴史や社会、日本との関係という、とてつもなく大きなものにも出くわしてしまいました。とくに若い人たちには未知との遭遇であって、おとなにとっては自らの無知との遭遇の場合もありましたが、いずれにしても、これは必然の遭遇であり、日中交流・復興クルーズの一行としては出会うべくして出会った課題といえます。ときに難儀なこともあるけれど、取り組む課題は大きいほうがよいでしょう。

 復興クルーズ2004の旅は、ゆっくりと中国へ近づいていき、ゆっくりと神戸にもどってきました。旅が文化や歴史を学ぶ一つの方法であるなら、船上の時間は予習と復習の時間であり、船はすばらしい教室でした。神戸と天津、唐山、この3都市を拠点にした市民主体の往還運動が継続されることを望みます。

(この項終わり)

  •  日中交流・復興クルーズ2004
      http://www.myticket.jp/FUKKOU001.html

  •  << 前回 連載 次回 >>
    印刷用ページ
    Copyright© 2003-2005 The Group of Recording "Noda Northern District" All Rights Reserved.
    inserted by FC2 system